多くの企業では「うちではこうだよね」で通じる契約実務の暗黙知があります。しかし、暗黙知であるが故に、認識している人とそうでない人がいたり、複数チームの場合には共有されていなかったなんてケースもあり、スムーズな業務を妨げたり、「人によって言ってることが違う」という業務上のストレスの原因になっていることもあります。
こうした個社実務に照らした暗黙知の集積を、最近では「自社基準」といったりしますが、具体的に何が自社基準にあたるのかイメージがつかない方も多いでしょう。
そこで、本記事では、法務出身者へのヒアリングに基づく具体例を通じて、皆さんの会社にもある「うちではこう」に気づいていただき、社内業務の標準化・効率化への第一歩を踏み出していただければと思います。
契約審査の自社基準とは?
「自社基準」と書くとなんだか大げさに感じますが、一言でいえば「うちではこうだよね」という各社の事業・取引・運用に応じて契約実務から生じる知見のことです。こうした自社基準は、各社の事情から得たものであるため、企業にとってはリスクヘッジや運用の観点から重要です。
自社基準を明確にする重要性
自社基準が暗黙知のまま明確にされていないと、どういった問題があるでしょうか。その理由として、以下の3つが考えられます。
質の向上
実務で起きたトラブルから生まれた自社ナレッジを暗黙知ではなく「視える化されたナレッジ」として蓄積し、契約審査時に運用することで、あるべきレビュー内容からの逸脱が減り、契約書レビュー結果の質が向上します。
スピードの向上
惰性ではなく、個別のケースに応じてアドホックな検討を行う姿勢はとても大切です。しかし、特にその会社のボリュームゾーンの取引は定型的であったりと一定の型化になじむことが多いです。
こうした取引に関する知見については、重要条文について自社案を先方に拒否された場合には続く第ニ案→第三案と、対応パターンを型化し、これをチームメンバー感で共有することで、つど検討・対応する時間を減らして、時間あたりの処理件数を上げていくことが期待できます。
教育コストの低下
各企業では、上記のような知見について、活用の程度だけでなく、そもそも認識・解釈にずれがあるものです。そのため、もしこうした知見を明示して共通認識にできていれば、新人や法務へ人事異動があった人に対する教育コストを省くことができます。反対に、新人等からしても、明文化された知見があることで、キャッチアップ、業務遂行に寄って立つものがあることで不安要素を減らすことができます。
オンボーディングにはドキュメンテーションが重要と言われますが、契約実務の社内ナレッジについても当てはまるのではないでしょうか。
こうした自社基準およびそれを構成する「契約ナレッジ」は個別の失敗事例や業務中の繰り返し作業によって生じることが多いため、その時に気づいても次のタスクに取り掛かる必要がありすぐに流れてしまったり、積極的に共有するほどのものでもないと思ったりして、なかなか蓄積するのが難しいものです。
そこで、以下では「自社基準」の具体例を複数取り上げることで、貴社で共有されるべき知見・ナレッジに意識を向けていただくことで、貴社でナレッジ・マネジメントをはじめるきっかけ作りになればと思います。
法務担当者が語る、自社基準の具体例
法務部内で暗黙知になりがちな、分かっている人とそうでない人がいる例を以下、ケースごとに列挙しています。
「一般的には重要でない条文を重視している」ケース
暗黙知
秘密保持契約書において、権利義務の譲渡禁止条項を必ず記載する。
背景
- A社との初取引の打ち合わせをしている際、A社がすでに自社の秘密情報を所有していた。
- A社が持っていた自社の秘密情報を確認すると、過去B社との秘密保持契約に基づいて開示した情報であった。
- A社に確認をしたところ、数年前にB社がA社から事業譲渡を受けており、その際に自社の情報もB社からA社へ渡ったことがわかった。
- 以前締結したB社と自社の秘密保持契約を確認すると、権利義務の譲渡禁止条項や重要事項変更時の通知義務条項が記載されていなかった。
- 自社はB社の事業譲渡を把握しておらず、自社の知らないところでA社が自社の秘密情報を所有していたことにリスクを感じた。
- 以後このようなことがないよう、秘密保持契約書に権利義務の譲渡禁止条項を記載することを法務部門のルールとして策定した。
実際には…
- 法務部のルールとして策定したものの、当時の法務部員は2名であり、マニュアル等で文書化をせず口頭で確認したのみであった。
- A社の件があった直後は注意して契約書をレビューしていたものの、時間が経つにつれ忘れてしまった。
- その後法務部員が増えたが、上記ルールは引き継がれなかった。
「漏れていたら追記必須の条文がある」ケース
暗黙知
労働者派遣契約には、自社が労働者から直接誓約書等の書面の差し入れを求めることができる旨の条項を必ず記載する。
背景
- 年に1度、自社の全従業員(派遣社員、契約社員、アルバイトなどを含む)に対して自社のイントラネット上でeラーニングの研修を行っており、研修内容に関する誓約書を取得していた。
- ある派遣社員から、「派遣先企業へ直接誓約書を提出するのは、業務の規定にない」として提出を断られた。しかし、全従業員へのeラーニングを契約条件とする取引先もあり、誓約書を提出してもらう必要があった。
- このときは派遣元企業が協力的であり、仲介してもらうことで派遣社員から誓約書を提出してもらうことができた。
- これをきっかけに、労働者派遣契約に派遣労働者から直接誓約書等の書面を求めることができる条項を記載するルールができた。
実際には…
- 法務部のルールとして策定したものの、同じくマニュアル等で文書化をせず口頭で確認したのみであった。
- 特に、自社が労働者派遣業を営んでいるわけではないため知見が乏しく、労働者派遣契約については毎回過去にレビューした契約書を参考にレビューしていた。
- そのため、誓約書の提出を求める条文が入っていない契約書を参考にすることがあり、この条文が抜けている場合が多かった。
「譲歩時の承認ルールが存在する」ケース①
暗黙知
損害賠償の支払い範囲を自社雛形より拡大する場合は、部門長、役員の承認が必要。
背景
- 自社製品を購入した顧客から、製品代金を大きく超える多額の損害賠償を請求され、支払うことになった。
- 売買契約の損害賠償額に上限がなかったため、これ以降、賠償額に上限をつけることがルールになった(自社のひな型も全て上限を設けた)。
- 併せて、賠償上限を付けない場合は、契約窓口部門を管轄する部門長および役員の承認が必要というルールができ、責任分担を明確化した。
実際には…
- 法務部内で明文化していなかったが、重要な方針だったので当初は運用ができていた。
- しばらくして、賠償上限のバリエーションによって部門長および役員の承認の要否判断が法務部内でもずれるようになり(上限があれば承認不要なのか、取引金額を上限とすることが必須なのか、など)、案件によって方針がブレていると部門長や役員からクレームが来るようになった。
「譲歩時に承認ルールが存在する」ケース②
暗黙知
違約金条項が含まれる契約書を締結する場合は、社内の稟議申請で役員全員の承認が必要。
背景
- 社内の稟議申請制度が整い、一定金額以上の支払いは役員全員の承認が必要となった。
- これに伴い、契約書に違約金条項が含まれており、基準の金額を超える場合は、契約締結前に役員稟議にかけるルールができた。
実際には…
- 原則違約金条項は受け入れておらず、稟議申請まで必要となるケースがまれにしかないため、法務からも案内が漏れ、役員稟議にかからず部門長や役員の判断で契約締結となるケースが増えた。
- 役員側より、予期しなかった違約金支払いを懸念してルール遵守の要請を受けたが、マニュアル等がなく、結局口頭伝承ベースで役員稟議の案内をしている。そのため漏れる例が後を絶たない。
「事業部判断が必須の条項がある」ケース
基準
法務論点というより、取引条件などが絡む事業部判断必須の論点は、一般的なリスクや負担について法務が言及した上で事業部判断に委ねる。
背景
- 先方ひな型のNDAに「秘密情報管理監督者を営業部長に指定する」「監督者は秘密情報を適切に管理しなければならない」みたいな条項が含まれていて、法的には問題ないけど、営業部には「こうなってるよ」「運用大丈夫?」「ちゃんとできる?」「できないなら修正しようか?」という旨を申し送りして判断を仰いでいる。
実際には…
- 法的修正はしないが、リスク判断を可能にするために、申し送り事項は付ける必要のある条項だが、法務担当者によってどこまで事業部判断を仰ぐべきかの感覚値に違いがあり、スルーされることが多い。
- 法務が申し送り事項を伝えてあげないと、リスク認識のないまま、不適切な運用取引をしてしまい、結果、取引頓挫の可能性がある
「経理的に運用可能かどうか確認を必要とする」ケース
暗黙知
先方が当社の支払いサイトから外れる支払いサイトを希望された場合は、個別に経理に確認する。
背景
- 当社の支払いサイトは当月末締め翌月末支払い。請求書発行は翌月5営業日以内。
- 契約書ではこうした社内運用を踏まえて上記経理ルールと整合性をとった支払いルールを定める必要があった。
実際には…
- これがナレッジとして明文化・共有されていないため、人事異動者、中途入社の方が先方案を飲んでしまい、経理担当者に対して、イレギュラー処理の負担を投げることになってしまう。
- 最悪の場合には、契約書で約束したルールどおりに支払いができない。支払い周りの契約違反に繋がる可能性もある。
「取引先によって条文内容の修正が必要な」ケース
暗黙知
取引先が大手や銀行の場合には、取引相手に応じた一定の修正が必要。
背景
- たとえば、取引先が銀行の場合、振込手数料(取引先側が支払う場合でも受領する場合でも)は当社負担とすることを求められる。
- 交渉力敵に先方案を飲むしかなく、当社にとってリスクが大きい条項内容でもないことから、むやみに取引を遅らせないよう基本的には当社から修正をせず受けいれる方向にしている。
実際には…
- こうした社内慣行が十分に法務チーム内で浸透しているとはいえず、担当者によっては無理筋の修正を繰り返すことがあり、取引スピードが犠牲になっている。
- 事業部から見ても、法務担当者によって言っていることが違うとなり、クレームの原因になっている。
「条項の内容、取り扱い製品等によって確認フロー/承認先が追加・変更になる」ケース
暗黙知
- NDA・覚書等であっても、(情報管理についてなど)技術的に踏み込んだ内容であれば、情シス(セキュリティチェック担当部署)等に承認を得る。
- 例:特許のある●●製品(薬品)に関しては、NDAでも、他の類型の契約書でも知財部・研究開発部の承認を得る。
背景
- システム(サービス)の提供のため、セキュリティチェック・NDAが同時に来ることが多い。
- それぞれ別部署で回答を作成するが、部門間で矛盾した回答になることを防止するため、相互に連絡を取る必要がある。
- そこで上記ルールで運用されることになった。
実際には…
暗黙知になっており、うっかり確認漏れがあると、矛盾回答が生じてしまい、自社サービスの導入遅延に繋がることがある。
「取引先の業界によって基準を変える必要がある」ケース
暗黙知
相手方が金融機関の場合、「監査」条項について「(自社の承諾なき)立ち入り検査」があっても受け入れる。
背景
金融機関は(金融庁からのプレッシャーもあり)取引先コントロールに関する条項変更に対して厳しく、こうした内容でも受け入れざるを得ない。
弊害
- 拒否すると、取引自体が壊れる、または契約までの時間が異常に長引くことになり、事業に対する不利益を及ぼす可能性がある。
- しかし、新任などが対応すると型どおりにレビューしてしまい、手戻りが生じることが多々ある。
「他メンバーのリサーチ結果の存在を知らない」ケース
暗黙知
顧問弁護士等に依頼した法的リサーチの回答結果
背景
- 個人情報保護法、下請法、景表法の法令解釈、ガイドラインの適用等については、汎用性が高く、契約審査においても参照することがある。
- 特に自社サービスに引き付けた質問と自社サービスなどの具体的な取引・事実関係に当てはめた回答が多いと考えられるため、先方からの修正依頼に対する反論として交渉コメントで引用することが多い。
- そのため、一般的な省庁のガイドラインと比べてより「独自ナレッジ」としての参照価値が高い。
弊害
- 共有されていない人が、既存リサーチ結果を知らず、別途リサーチをしてしまい、二度手間・三度手間が発生する。
- 結果、法務リソースの無駄遣いとなるだけでなく、仕事も遅くなる。
おわりに
具体的な場面で生じる自社ナレッジの具体例はいかがでしたでしょうか。
「こういうこと、うちでもあるな」と思われたら、ナレッジマネジメントが必要なサインかもしれません。できることから一歩ずつ始めてみてはいかがでしょうか。
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